今回も仏教の言葉を紹介します。
【一水四見】
水には4つの捉え方がある。
人間にとっては普通の飲み水であっても、魚にとっては住むところそのもの、天人にはきれいに透き通った瑠璃のように見え、餓鬼には飲もうとした瞬間、火に変わる苦しみの水である。
見る者によって捉え方が大きく変わるという意味であります。
私たちは普段同じ世界に住み、同じものを見て、それを同じように認識していると思いがちです。
ですが、好きな食べ物も違いますし、好きな人も違います。好きな香りも違えば、好きな場所も違います。
同じものでも、人によってよく見えたり悪く見えたり見方は大きく異なります。
生きてきた環境や価値観によって見えている世界が変わる
私はマジックをしながら仏教をお伝えする活動をしていますが、そのマジックの心理的操作の技術の中に「ミスディレクション」というものがあります。
次の文章を読み進める前に、この動画をぜひご覧ください。
実験内容が英語なので最初の説明文を記します。
「今から2チームが混じり合ってそれぞれバスケットボールをパスし合います。その中で白い服を着たチームのパスをした回数を数えてください」
いかがでしたでしょうか。
あるものに集中すると、他のものが見えなくなるという人間の性質をわかりやすく解説した実験です。
ミスディレクションとは、まさにこのように
「ある一点に集中させることで秘密の動作を認識させないようにするマジック心理テクニック」
です。
視覚だけではなく情報を認識するときも同じようなことが起こっています。
その人に善きところがあっても、悪いところしか見ないでいるとその善きところが見えなくなります。
「あいつは嫌いだ」と強く思ってしまうと、その嫌いな気持ちだけに意識がフォーカスし、善きところが見えなくなってしまう。
これはとてももったいないことでもあります。
嫌いという感情を持つことは持っている本人にとっても辛いことであります。
弘法大師、空海さんの言葉にこのようなものがあります。
医王の目、道に触れてみな薬なり。
解宝の人な鉱石を宝と見る
【意味】
お医者さんは雑草を薬草と見る。宝石をよく知る人は石ころさえも宝石ということに気づく。
知識や知恵を持った人間からすると、どんなものにも価値を見出すことができる。
ものごとを一点から見つめるのではなく多方面から捉えてみると今まで見えなかった様々なものの価値を見出すことができるのかも知れません。