ダイエットや禁煙、禁酒など、人間なにかを制限し我慢することはとても難しいことであります。
この「我慢」という言葉、実はもともと仏教用語です。
【我慢】
強い自己意識から起こる慢心のこと

自分という存在に執着するあまり、たとえ自分の行いが間違っていても常に正しい、相手より優っていると思ってしまう心の働きのことですが、執着とはまさに自己を「意識」することによってより強くなります。
それはなにかを制限するときも同じです。
例えば
ダイエット中にCMで美味しそうなものを見たり、街で美味しそうな匂いを嗅いだりする(ことにより食べることを意識する)と食べたいという思いが出てきます。

しかもほぼ自動的に、スイッチを押されたかのように。条件反射のように食べたいと思ってしまうことを止めることはできません。
そして、思いにそれに囚われてしまいます。
美味しそうな食べ物を見て
美味しそうだなぁ
↓
食べたいなぁ
↓
でも今ダイエット中だしなぁ
↓
少しならいいかなぁ
↓
いや良くないか
↓
これ食べたら太ってしまうなぁ
↓
、、、

このような葛藤状態はとても精神的に負担がかかります。
制限をしているときに一番苦しい状態はこの葛藤状態です。
それを意識し考え続けているときがとても苦しい。
こんなことがありました。
修行中の朝のお勤めの際、私はお経を読むことに集中していました。お経がひと段落し、ふと目を開けると、御本尊さまの前にカシューナッツがお供えされているではありませんか。

食事制限の中、空腹ゆえそのカシューナッツがとても美味しそうに見えてしまいました。
当然ですがそれをいただくことはできませんので考えないようにしようとしました。
しかし、考えないようにしようと思えば思うほどそれを口にしたいという気持ちが強くなっていきました。
そのときの勤行は、カシューナッツを拝んでいるのかというほどその思いに囚われていました。
考えないようにしようとする。
「食べてはいけない、食べてはいけない」と強く思うこと自体が、そこに意識を持っていってしまっていることになります。それにより余計食べもののことを考えてしまっている。
問題は制限をすることで常に意識し囚われていること。
大切なのは
「してはいけない」
と思うのではなく
「それから意識を逸らす」

好きなことをしていると食事もせず没頭していて気づけば夜になっていたという経験があると思いますが、制限をかけているもの自体から意識をそらして「外へ散歩に出かける」「人と話す」「趣味に没頭する」など意識をそらしてあげることで、それに対して考える時間を少なくします。
そうすることで、それについて考える時間を少なくして心理的負荷を少なくして達成する。
根性や気合も大切かもしれませんが、心の性質を良く知ることで負担を少なく良い結果を出すこともできます。
これは仏教の「瞑想」の考え方を応用したものです。
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