生きることの苦しみ

小説を読んだりドラマ、映画を見たりして涙することがあります。

年を重ねれば涙脆くなるとよく言いますが、これに対し

「それは自身の経験を投影するからだ」

と知り合いのお坊さんがおっしゃっていたことを、ふと思い出しました。

人生において体験したことを物語と照らし合わし自分のことのように感情移入してしまう

この言葉は、私の中でやけに腑に落ち心に残っています。

感極まるのは自分の経験、それに近いかそれを複合した状況を想像しているのだと。

経験を重ね、ものごとをより深く理解できることがあるように、辛い思いを抱えた方の相談を受けるときも「同じ、あるいはそれに近い経験をしている」ということは大きな力になります。

より相談相手の心安らぐ傾聴、アドバイスをすることができる

その人の気持ちを自分の経験に投影し、理解が深まるゆえ、というのもありますが、私は相談を受けているときの経験した人にしか出ない

「間」 「タイミング」 「言葉の選び方」 「表情」 があり、

それを相手も無意識に感じて「心からわかってもらえている、共感してもらえてる」と心救われるのではと強く感じるわけであります。

仏教は

「辛い経験をすればするほど、心に染みる教え」

であると私は強く感じています。

深い苦しみを味わえば味わうほど仏教の教えは心に響き、そして力になる。

とてつもなく辛い思いをしたとき、心を救ってくれたのはいつも仏教でした。この上なく苦しい思いをしたときに、仏教の説く深い教えを心から理解できる。

それは


「生きることは苦しみである」


というのが根本にあるからではないかと思います。

深く辛い体験をしなければわからないことがあるように、実際に苦しい体験をしなければ出てこない言葉が、言い回しがあります。

先人がさまざまな苦しみの中で綴った仏教の教え

それを見たとき、同じ悩みを現代に抱える人が見て救われるのではないかと強く感じるわけであります。

感動、感銘を受ける文は、強く感情が動きそれを表現しようとする心から生まれるのではないかと私は思います。またそうあって欲しいとも思います。

仏教は約2600年、苦しみと向き合ってきた宗教、哲学であります。
あなたに合った心の薬になる考え方、言葉が必ずあります。

このブログでも、お伝えしていきますのであなたにとって善き仏教の言葉をぜひ見つけてください。