修行と聞くとどんなものを想像しますか?
「苦しいもの辛いもの。苦しくなければ修行じゃない、辛くなければ修行じゃない」
と思う方もいるかもしれません。
しかし、苦しむことが修行という考え方は少し違います。
修行は苦しむために行うのではなく、ある「目的」に向かうためのプロセスです。
「目的」のために苦しい道のりがあるのであって、決して苦しむために修行しているわけではありません。
もし、苦しむために修行しているのならそれは仏教ではありません。
では、仏教でいうその「目的」とは何か?
それは
悟りを得る
ということ。

仏教をひらいたお釈迦様は、6年間の苦行をしました。
食事を極端に減らす、気を失うまで呼吸を止める、肉体に苦痛を与えるなど
考えられるあらゆる苦しみを体験されました。
そして、得られたことはたった一つ
「苦しむことを目的にした修行ではなにも得られない」
ということ。

極端に苦しみを求める修行だけでは何も得られないと知り
菩提樹の木の下で深い瞑想に入り、ついには悟りを得たのです。
修行の目的は苦しむことではありません。
悟りを得る
ことです。
努力を成果につなげるなら、苦しいことをする達成感や辛いことを我慢するという自己満足だけではなく、しっかりと成果に向かう道を歩まなければなりません。
人間は苦しむ人を評価する傾向があります。
- 苦しい修行に耐えたから偉い
- 残業をしたから偉い
- 勉強を一日中したから偉い

耐えるということは大切ですが、苦しんだから偉いという考えだと目的を見失った行動をしてしまう場合がおおいにあります。
「苦しむ道」ではなく「目的につながる道」を選ぶことを仏教は教えてくれています。
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