生命の強制維持装置『業』


私たちは何のために
生きているのか?

私はどんな使命を持って
生まれてきたのか?

生きていく中で一度はこんな疑問を持ったことがあるのではないでしょうか。

使命感を持って生きる、目的を持って生きることは、仏教が説く最高の利益である「心の充実」につながりとても素晴らしいことだと感じます。

しかし、仏教ではこの「何のために生きているのか」というより「何が生の根源なのか」という視点から説明をしています。

【生きている理由】


私たちが生きている理由、それは心の奥底にある「自身の生命を維持しろ」という業によるものです。

生命は自身の命の危機にさらされると何かしらのシグナル、命令を身体に出します。

例えば、生命の維持に影響の出る寒さ、暑さに身を晒していると、不快感を発生させてその場から逃れるよう促します。

栄養が足りなくなると「エネルギーを摂取せよ」と空腹が襲います。

知らない人に包丁を向けられれば「すぐにそこから立ち去れ」と恐怖の感情を湧き出させて逃げるアクションを取らせようとします。

これは自分の意思とは関係なく「生命維持装置」のおりなす業です。

このように自分の意思で生きているつもりでも、よく自分の心を観察していくと強い欲求、恐怖心に従って生かされていることがわかります。

【お釈迦様の教え】


お釈迦様は、それに気付きなさいと説いています。

人は他人のことはよく見えますが、自分のこととなるとなかなか捉えられません。しかし、よくよく心を観察していると自分の心の性質も見えてきます。

どんな時に幸せを感じるのか
どんな時に不幸に感じるのか
どんな時に心地よさを感じ、どんな時に居心地の悪さを感じるのか。どんな人を好きになり、どんな人を嫌うのか。

心は常に動いていて、その心が主体になってしまうと客観的にみることができなくなってしまいますが、それを意識的に捉える、把握することで、少しづつ理解できてくるとお釈迦様はおっしゃっています。

【最後に】


使命や目的は、もともとあるものではなく自分自身で定め進んでいくものでもあります。己の心をよく観察すれば、自分に合った目的、使命を見出すことができるかもしれません。

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