【言葉は心に対して不完全】

この世の中には、目に見えないものがたくさんあります。

例えば、
空気や電波、温度など、確実に存在しているのにそれらを直接、目で確認することはできません。

そして、私たちの中にある「心」も目には見えません。触れることもできません。嗅ぐこともできません。

しかし、それらは確実に私たち一人一人に存在しています。

【言葉の重要性】



目には見えない心を伝えるため人間はとても便利な「言葉」を創りました。なんと、言葉はBC3000年前からあったと言われています。

普段当たり前のように使っていますが、言葉は思いを伝えるための最高の方便であると感じます。

もし、言葉がなければ伝達にかなりの制限を感じるようになるのではないでしょうか。

そんな昔からある言葉ですが、それよりもずっと前から「心」は存在していました。

【言葉には限界がある】



人間は言葉を創り、そしてその見えない心を表現するために、創り出した言葉の中から見合うものを選び伝えてきました。

しかし、あらゆる状態に変化する心を100%完璧に表す言葉はありません。

例えば、 「嬉しい」ということ1つとってもたくさんあり「心地よい、悦ばしい、愉快」それぞれ少しずつ意味が変わってきます。類義語がたくさんありますが、心の状態はそれをはるかに超える模様があります。

全く同じ心情をテレパシーかなにかで直接受け取ることができればいいのですが、残念ながらそれはできません。必ず「五感」を介さなければなりません。耳で聞いたり、眼で表情を確認したり。

眼、耳、鼻、舌、身」を媒介します

同じものを食べても人によって美味しく感じたり不味く感じたりと好き嫌いがあるように、この五感感覚の受け取り方は人それぞれ。

見えるもの、聞こえる音、香り、味、触感には絶対的な意味はなく、受け手の性質や考え方、そのときどきの心境で捉え方は大きく変わります

そもそも心には「姿」「形」そして「言葉」はありません。

言葉に関しては人間の後付けでしかありません。しかし、視覚という感覚を通してはじめてつかめてくるも。

目で見たり、耳で聞いたり、触れてみたり、嗅いでみたり、味わってみたり、いろんな角度から世の中を感じることで、その本質を捉えていくことができます。

【お大師さまの比喩】



弘法大師、空海さんのお言葉

「法は本より言なし、言に顕われず。真如は色を絶つ、色を待ってすなわち悟る」

世の中の真理(法)は本来 言葉を持っていないが、言葉で表現しなければ説明できない。
世の中の真理には姿や形はないが、眼で見える現象(色)を通してそれを悟る。

というような意味です。

この世の真理は言葉や具体的な形がないので理解することが難解であります。

しかし、人の心を推し量るために言葉、仕草、表情、雰囲気などさまざまな情報を取り入れ判断するように、見たり聞いたり嗅いだり味わい触れることでそれを悟ることができるのかもしれません。

【最後に】



大切なことを少しでもわかってもらえるよう、仏教では様々な形で真理を説いています。その方便を五感で感じることで、味わうことで理解できるようになってくるのだと感じます。

みなさんも、ぜひ仏教の多様な方便に触れてみてください。必ず生活を豊かにするきっかけになると強く信じています。

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