【抽象化という逃げ】

最近、抽象的な表現が世の中に蔓延っているように感じます。

重要である。大切である。情緒的である。

これらって結構、抽象的な言葉に感じます。
「あの人はいい人だ」「あれは良いこと悪いこと」「あの作品は美しい、情緒的だ」「これは深い話だ」

物事を「〜だ」と抽象的に表現するのは簡単ですが、ではなぜそれが大切なのか、理由を聞かれると意外にも答えるのが難しかったりします。

なぜ、それが正しいと言えるのか?なぜそれが間違いだと思うのか?なぜその話を深いと感じるのか?

感性で捉えることも時に大切ですが、感性や感覚はかなり曖昧だったりします。

【心を具体化する】

仏教には「ラベリング」という修行方法があります。これは物事を具体化する際のひとつの方便で「言葉に落とし込む」ことです。

特に心の状態をラベリングするのですが、今自分がどう思っているかを観察して言葉にする。

例えば「この人は良い人だ」と思った時、ではなぜ良いと感じたのかを言葉にしてみる。

「私の話を理解してくれた。認めてくれた。褒めてくれた」など。
すると「あ、自分に対して優しくしてくれる人を良い人だと感じる傾向がある」
と言うことが把握できたりします。

心の状態、判断の抽象的な部分を具体化することで物事の解像度を上げ、鮮明に見えてきたら次に何をすれば良いかも見えてきたりします。

僕は感性も大いに大切だと思うのですが、なぜそう感じるのか?なぜそう思うのか?をより問いかけていくことで自分の「心の性質」の理解も深まると仏教では教えてくれています。

心をラベリングすると言う仏教の知恵、ぜひ参考にしてみてください。